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何故SEになったのか?(振り返り①)

こんにちは。

心理セラピスト きくちかなこ です。

振り返り第一弾。SEを選んだ理由、、、私自身、この仕事を選んだおかげで、今まで無事に(!?)生きてこれました。

きっかけとなった叔父や社会人当初の諸先輩がたには感謝感謝です。

以下、、、長いので、興味のある方、どうぞ読んでやってください。

 

●振り返り前編

私は小学生低学年の時に、自営業の叔父からたくさん学びました。
今から37、8年前でしょうか、、、(サバ読んではおりませぬ)

叔父の家に遊びに行っている時、従兄弟のおにーさん2人がPCに向かって、黒い画面に何やら小さい文字を打ち込んでいたのを覚えています。
(Windowsなんて無い時代。全てはDOS画面だったわけです。インターネットだって広まっていなかったのでは?あったのか?)

「なにしてるの?」
と聞くと、
「これでうちの親父の会社がラクになるようにしてるんだよ」と。(当時従兄弟は大学生でした)

叔父が説明してくれました。
「これからの時代、コンピュータ無しでは生きていけないんだよ。全てこの機械が作業してくれるんだ。かなちゃんの将来なりたい仕事が想像出来ていないなら、今この子たち(従兄弟)のように、機械を動かすための指示をする仕事も考えてみたらどうだろう?
絶対に人手が足りなくなる。そしてただPGMを作るだけではなく、この機械に実現して欲しいことを作業の流れの中から考えていくことが大事だよ。
かなちゃんだったら出来るよ、絶対に大丈夫だ」

一言一句覚えているとは言いませんが、叔父がニコニコしながら私に教えてくれたことはハッキリ覚えています。

そこで私は『プログラマー』『システムエンジニア』という言葉、仕事内容を初めて知りました。

その頃は「ピアノの先生になりたい」と言っていたと思います。

そして中学生になり、進路を決める時に学校の先生にこう告げました。

「商業高校の情報処理科に行って、将来IT業界に進みます」

まー驚くほど周りの大人たちはパニックでした。
両親は「アンタの好きにすればいい」だったのですが。
叔母たち「この家系で大学行かない子なんておらん。進学校に行きなさいっ」
担任「なぜ?とにかく○○高校(地元の進学校で偏差値的には一番高いとこでした)行くだけの力があるのに。ITなんて大学行ってからでも学べるのに」
音楽の先生「なぜ音大に行かんのだ?もったいない」
同学年別クラスの先生「じゃあ学校推薦するよ」
(自クラスの生徒に進学校に行くチャンスが増えますからね。後々別の人からカラクリを教えていただき気付きました)

「大学行ったらどうなるの?
私は先生とつく名の職業に就きたいと思っていない。であれば早く社会に出て経験を積んでいきたい」

これが当時の私の想いでした。
勉強がそんなに嫌いではありませんでしたが、その進学校に通っている生徒たちを眺めていると、ちっとも楽しそうに見えなかった、というのもあります。

こうして商業高校の情報処理科を選択し、学校でPGMの基本を学びました。
3年間、ホンットに楽しかったんです。

そして、地元の企業のシステム会社に入社しました。
両親が非常に心配性で、地元の会社にするよう散々言われていました。

さあ!“社会人”です。

けど、作業内容は高校の延長です。
教えてくださる先輩方もほとんどが高校のOBです。
高校生気分が抜けないまま、最初の1年はひたすらPGMを作り、テストしリリースしていました。
程なくして、お客様の要望を実現するための手段だとか、それにかかる期間、工数も自分で提示するようにもなりました。

ちょうど入社した年にバブルがはじけ、後輩が入ってこなくなり、下っ端雑用+年々レベルアップしていく業務を5年ほど続けました。

ここで社会人として躾けていただいたことというのは、今も大きく影響しています。
上司、諸先輩方、同期の皆さんには心から感謝しています。

 

って事で。

後編は「戦うSE」になったことを書く予定です。

ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。

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