それって本当に真実?
投影・シャドーってどういうこと?
「この世で起きていることのすべてはあなたの心の投影である」
↓
この世はあなたが描き出した世界、そしてそれをあなただけが見ている
本当に真実を把握しているのでしょうか?
起きている事象は同じでも、見え方・捉え方・感じ方は人それぞれである!
例えば、、、
この写真、どう見えた?何を感じた?
Aさんは、、
・ひまわり=夏、夏休みにおばあちゃんちで畑を走り回っていたのを思い出す。
懐かしい気持ちになる。
Bさんは、、
・私の大好きなお花。見てるだけで元気になる。
Cさんは、、
・別れた彼女と夏にひまわり畑にドライブデートしたっけ、、、
元気かな、幸せにやってるかな、というセンチメンタルな感じ。
Dさんは、、
・夏休みの宿題で観察日記を書かなければいけなかったのに、
枯れちゃって悲しかった。日記も書けず怒られた。
などなど。
実際は『青空の下、何本かのひまわりが咲いている』という写真。
それが、
・懐かしい
・元気になる
・センチメンタル
・悲しい
などと十人十色の見方・捉え方・感じ方をしている。
これは【自分というフィルターを通して感情を張り付けている】ということ。
⇒目に見えているすべてのものをありのままに見ることが出来ない。
これが投影。
物のみならず、人や景色などにも投影している。
何故貼りつけてしまうの?
「経験」
私達の幼いころから今までの経験・体験を通して、そのときの感情・観念を貼りつけているため。
自己概念を捉えてみよう!
質問です。
Ⅰ.【嫌だなと感じる人の性質を挙げてください】
私だと、、、
①嘘をついて人を陥れてでも自分の立場を守ろうとする人
②「ありがとう」「ごめんなさい」が言えない人
③役職などの役割が果たせないのにただ威張ってる人
など(笑)。
挙げてみて、昔の職場の人達の顔がハッキリ浮かびます(^^;、、、はおいといて。
では次。
Ⅱ.【その性質を分類分けしてください】
A.もしかしたらその性質は自分のことかもしれない ⇒自分に対しての否定的な自己概念を映し出している
B.そんな性質の人になるくらいなら死んだ方がまし(あえて極端な表現としています)⇒抑圧している自己概念
C.上記AB両方
ということで、、、
①→A
②→C
③→B
「嘘をついて人を陥れてでも自分の立場を守ろうとする」こともあるかもしれない、、、
自分の立場、、、守ろうとしてるかも。。。⇒私の中の否定的な自己概念
「「ありがとう」「ごめんなさい」が言えない」時もあるかも。
口では言ってるけど、心がこもってないこともあるなぁ、、、
とはいえ、こっちに迷惑かけといて一言が無いような人間にはなりたくない。。。
「役職などの役割が果たせないのにただ威張ってる人」ってホント無責任!
そんな人間には絶対にならない!! ⇒自分で抑圧している自己概念
いかがでしょう。
あなたの目に映る、その相手のイヤな性質は、あなたの中にその性質がなかったら目に留まることは無い!
自分にない価値観を人に映し出すことはない!!
そう!
自分が「イヤ」と感じるその性質。
自分が持っているから気付くのである。
例えば私の場合、
「成金め!」と言われても、なーんとも思いません。
そもそも言われるようなお金持ってないし、地道に頑張ってますもん(笑)
解決法
目の前にどうしても受け入れがたい人(シャドー)が現れたとき
それは「封じ込めている自分自身の影である」と気付くことが大切。
切り離していた「自分の分身」を取り戻すチャーーーンス!!!
受け入れる(受容)するだけで、相手の行動が変わらなくても、自分の受け取り方・感じ方が変わる。
気になりにくくなる、、、感じ。
相手が嫌だ!と責めるのではなく、自分の感情を見つめ直すことが大切。
先ほどの質問。
「本当にそれほどイヤなことなのか?」
もう一度考えてみてくださいね。